コロナかと思ったら白血病でした。

2020年3月末、急性骨髄性白血病と診断されました。「生きている記録」として日記を闘病ブログにする事にしました。1日1日を大切に生きていきたいです。

7/15/2020 前を向いて治療が出来る理由

地固め治療2クール目(19日目)

白血球300 血小板3.3万 ヘモグロビン7.1

 

幸い起床時は熱なし。炎症値も0.3とまだ低い。体調はお腹以外は比較的良い。食欲もある。

 

白血球が本格的に下がり始めてきた。明日あたりが最低値か。血小板の輸血予定だったけど、昨日とあまり変わらないので今日はなし。その代わり赤血球が下がってきたので血液輸血となった。血球が上がるまであと10日くらいですね、と言われガックリ。いや、前回は22日目、前々回は24日目くらいで上がり始めてたから、あと少しだと思いたい。今回は順調な方だと思うけど、サイクルが異様に長く感じる。

 

今日で入院して100日目になる。これまで長かった気がするけど、まだまだこれからなんだよね・・・。

 

シャワーが午後3時半なので、シャワー後に輸血。本当はシャワー前に輸血をしたいけれど、輸血に3時間掛かるのだからこれは仕方ない。ヘモグロビンが下がりきる前に輸血を考慮してくれる先生に感謝。

 

今白血球が底辺にあるのに、明日放射線科の予約が入ってるらしい。この状態で無菌病棟を出るのは怖いぞ。本当に明日行くのだろうか。午後、輸血中に又もや教授回診があった。月1かと思ったら週1なのかな。あと、看護師さんからこれからはベッドにいても常にマスクをするように言われる。いきなりどうしたんだろう。都内のコロナ感染者が増えてるからなのか、それともこの病院で何かあったからなのか。

 

先日Iさんに聞かれた、『なぜ私がこの病気になったのだろう』と思った事がない理由を考えてみた。彼女はここから抜け出せないで苦しんでいる。私はこの部分に関して比較的すんなりと受け入れる事が出来た。

 

それには2つの大きな理由がある。

 

まず1つ目は、アメリカにいたらここまでの治療を得られなかっただろう、という理由から。アメリカから引っ越してくる時に『本当に良かったのだろうか』という想い、子供達がもう少し大きくなってからでも良かったのではという罪悪感、その他いろいろと日本に来てからも悩む事があった。日本での生活は順調だったから後悔したことはないが、罪悪感はたくさんある。でも、あの時日本に来る決断をしてなかったら、アメリカでこの病気の治療をする事になっていたら、と考えると、自分の下した決断は運命的なものだったと感じる。アメリカだったらほぼ間違いなく検査でたらい回しになって治療が間に合わなかった。そして経済的にも移植どころか治療すら不可能だっただろう。そう思うと、この病気になった事を嘆くよりも、なんてラッキーだったのだろう、と毎日感謝しているくらいだ。

 

2つ目の理由は、この病気になったのが子供達でなく私だった事。勿論、誰もこんな病気にならない方が良い。でも、その選択肢がなかったとしたら、病気になったのが私で良かったと心から思える。子供達のどちらかがこの病気になったら、子供達はもちろん辛いだろうけれど、私も精神的に押しつぶされていた。自分の事なら受け入れられるけど、成人すらしていない子供がこの病気になった日には絶対に受けれる事が出来なかったと思う。

 

よほど運が良くない限り、人は人生のどこかの時点で大病をする。それが私の場合は少し早めにきてしまった、という事だと思う。人生計画的にはとても運が悪かったと思うけど、これは私には乗り越えられる試練だと思ってる。今日本で治療を受けているのがその証拠だ。

 

世界中には戦争のある地で生まれ育って大人になれない人たちもたくさんいる。今、日本で治療を受けられるだけでも本当に幸運だ。他を見たらきりがない、と思う人もいるかもしれないけど、そう考えないと割り切れない。自分は悪くないのだから。